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 柳原です。

 

 いつもご覧になっていただき有難うございます。

小説『のぼうの城』(和田竜著)に登場する埼玉県行田市の忍城は、弊社の倉庫の近くにあります。

後年、忍の浮き城と呼ばれる小さな城です。

小さな城ですが、後の関が原で有名な石田三成が豊臣秀吉の命を受けて石田堤と呼ばれる堤を築き水攻めで落とそうと企むも、落城しなかったことで有名です。

関東の小さなこの城が、天下の豊臣に対し何故、落城しなかったのか。

忍城への攻撃は決して手ぬるいものではなく、高松城攻めをも凌駕する水攻めだったのにです。

まして、この石田方の軍勢には、大谷吉継、本多忠勝、真田昌幸らも援軍等で駆けつけているにも係わらず・・・

でも、たった3,000人弱で守られていた小さな城が、5万を越す軍勢にさえ落城しなかったその理由は実に簡単明白なのです。

答えは城主である成田長親の人望です。

成田長親は実は、馬にも乗れず、刀術、槍術ができず容姿もさほどかっこよくも無く、ただ図体ばかりでかいだけの男であり、家臣はおろか、領民である百姓や町民にさえも「のぼう様」と呼ばれほど(「のぼう」とは「でくのぼう」の略)の人物なのです。

しかし、普段は百姓の仕事である農作業を熱狂的に愛し、水攻めの際にでさえ、村の農作業を手伝っていたという逸話もあるくらい、領国の経営基盤である現場に顔と体を向けていました。

さらに三成方からの戦線布告の際には「武ある者が武なき者を足蹴にし、才ある者が才なき者の鼻面をいいように引き回すのが世の習いであれば、それは断じて許せまい。」といい、弱小国でありながら大群と戦う事を決める男っぷりを見せます。

そして普段から、城内の武将が一番偉いと勘違いせず、普段から現場に顔を出し、農民達との会話と共に汗を一緒にかく時間を多く取り、そして彼らと農業という泥臭い仕事そのものを大切にしていたからこそ、忍城が窮地にたったこの時、奮い立って自ら立ち上がり、魂を合致させて窮地を共に戦ったのが、じつはこの忍領の領民達なのです。

「のぼう様」などと揶揄されていても、実は心のなかでは、長親は領民に慕われていたのです。

そして領民は農民兵になって、城の守備に参加して長親を支えてくれたのです。

三成自身の体裁ばかりを気にした普段からの言動や行い。

口ではなんとも言えても、体で共に汗をかかない行動。

領民や部下のためと言いつつも、心の奥底では秀吉様のご機嫌伺い。

なんとも対象的であります。

ちなみに忍城は、長尾景虎(後の上杉謙信)の関東出兵の際にも、直接の攻撃に対しては落城はしませんでした。結果的に開城して帰順した理由は、影虎の軍が城下に無差別に放火しているのを見て苦悶した結果からなのです。

弊社の地元には、このような基盤が実はあったのです。

今日もお読みいただき、ありがとうございました!

もしよろしければ、下記ブログも参考にどうぞ。

「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」

http://ameblo.jp/shinozaki-tw/entry-10273206705.html

戮力するにあたって

http://ameblo.jp/shinozaki-tw/entry-10226629704.html



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